バンドネオン

※名前後ろの★印はすでに惜しまれつつこの世を去った方々
レオポルド・フェデリコ

レオポルド・フェデリコ

1927年ブエノスアイレス生まれ。現代最高峰のバンドネオン奏者であり楽団リーダー。ミゲル・カローらの楽団を経て1950年オラシオ・サルガン楽団の第1バンドネオンとして注目を浴び、1953年にはアティリオ・スタンポーネと共同で楽団を結成、1955年にはタンゴ界に物議をかもしたアストル・ピアソラのオクテート・ブエノスアイレスに参加。他にもマリアーノ・モーレスのモダン・リズム六重奏団、パケ・バイレン・ロス・ムチャーチョス、歌手の伴奏など最も忙しいバンドネオン奏者の一人となった。
1961年人気絶頂の歌手フリオ・ソーサの伴奏楽団を率い、64年にソーサが不慮の交通事故で没した後も自楽団として継続した。他にもギターの名手ロベルト・グレラとの四重奏団、オスバルド・ベリンジェリとのトリオなどでも名演を多数残している。楽団を率いての来日公演も度々行ってきた。現在海外公演は辞めているが、現地では時折オーケストラやウーゴ・リバス(ギター)との四重奏団で活動している。

「楽団との仕事があるたびに、その楽団の指揮者に一緒にやらないかと誘われたよ。専属になることを強要されなかったから、私はいつでもいろんなスタイルの音楽と付き合うことが出来た。自分だけのスタイルが必ずしも必要だとは思わない。私はいろんなスタイルの演奏を楽しむが、そのすべてが私の楽団の音楽に集約されているわけではない。楽団のメンバー一人一人が楽団の色に影響を与えるし、たとえ私が編曲しても、それに個性を与えるのはソリストの役目だからね。」
CD収録曲/「ギャロップで」、「タンゴの夢」、「タンゴ組曲(タンゴ・メドレー)」(最後のみバンドネオン四重奏とコントラバス)

ホセ・“ペペ”・リベルテーラ ★

ホセ・“ペペ”・リベルテーラ ★

1933年イタリア生まれ。バンドネオン奏者・楽団リーダー。生後11ヶ月でアルゼンチンへ両親と共に移住、少年時代からバンドネオンに魅せられ、フランシスコ・レケーナ(オスバルド・レケーナの伯父)に師事する。1948年プロデビュー、1950年オスマル・マデルナ楽団に参加、その後カルロス・ディ・サルリ楽団、歌手アンヘル・バルガスの伴奏楽団を率いた後、人気歌手ミゲル・モンテーロの伴奏楽団を7年間にわたって率いた。1967年ホルヘ・ドラゴーネらと共にキンテート・グローリアを結成、来日公演を行う。その後もオルケスタやキンテートで活動していたが、1972年、ルイス・スタソと共にセステート・マジョールを結成、タンゲリーアや海外公演などで活躍、1978年には日本全国での公演も行っている。
1985年ブロードウェイ・タンゴ・ショウ「タンゴ・アルゼンチーノ」に出演、音楽監督として世界中を公演してまわる。1992年には別のタンゴ・ショウ「タンゴ・パッション」の音楽監督となり、こちらでも世界中を公演した。
1990年代、リベルテーラはほとんどの公演を海外で行うほど多忙だった。
2003年セステート・マジョール結成30周年記念公演を行ったが、2004年12月パリで急逝。本作に記録されている彼のバンドネオン・ソロの映像はほぼ最後の記録である。彼の晩年の姿は映画『12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符』や『タンゴ・イン・ブエノスアイレス?抱擁』にもとらえられている。
CD収録曲/「ロマンティックなバンドネオン」

エミリオ・バルカルセ

エミリオ・バルカルセ

1918年(1920年説もあり)ブエノスアイレス生まれ。編曲家・バイオリン&バンドネオン奏者。1940年代から編曲家として活躍、アルベルト・カスティージョ、アルベルト・マリーノなど歌手の伴奏楽団を率いていたが、1949年にオスバルド・プグリエーセ楽団にバイオリン奏者・編曲家として参加し、「ラ・ボルドーナ」「シ・ソス・ブルーホ」「天体」などの作品を発表、プグリエーセ楽団のみならず、数多くの楽団のレパートリーとなった。1968年、フリアン・プラサ、オスバルド・ルジェーロなどプグリエーセ楽団の同僚と共にセステート・タンゴを結成し、20年以上にわたって活動した。セステート・タンゴ脱退後、バンドネオンに持ち替え自己のグループで活動。2000年、若手ミュージシャンがオルケスタ・ティピカのスタイルを学ぶ「タンゴ学校オーケストラ」の指揮者に請われて就任。その経緯はドキュメンタリー『シ・ソス・ブルーホ』として映画化もされた。

「楽団メンバーになりたいとは当時は思っていなかった。私は編曲家で、アニバル・トロイロなど多くの指揮者に編曲を提供していた。しかしプグリエーセ楽団の話をもらった時、私は彼の楽団が大好きだったし、彼の楽団ならと話を受けることにした。一度プグリエーセ楽団に入ったら他の指揮者に編曲は提供できない。すべてのクリエイティヴな活力をプグリエーセに注がなくてはいけなかったのだ」
CD収録曲/「シ・ソス・ブルーホ」

エルネスト・バッファ

エルネスト・バッファ

1932年ブエノスアイレス生まれ。バンドネオン奏者・楽団リーダー。1948年にプロデビュー、アルフレド・ゴビ、ペドロ・ラウレンス、オラシオ・サルガン楽団を経て1957年にアニバル・トロイロ楽団に参加、68年まで在籍する。66年からはオスバルド・ベリンジェリと共同主宰でトリオと楽団を結成、1972年から自己の四重奏団で長く活動してきた。トロイロのスタイルを最もよく受け継ぐ演奏家として知られている。作品に「B.B.」「パラ・グアルディア」などがある。

「家の近所にクラブがあった。棚にぶら下がりながら、そこにやってくる素晴らしい楽団をたくさん見ていたよ。父にバンドネオンが好きだと話すと、父は2回分割で300ペソのバンドネオンを買ってくれた。それが今でも弾いているこの楽器だよ。いつか上からのお呼びが来るだろうけど、この楽器は一緒にもっていくよ。」
CD収録曲/パラ・グアルディア」「チケ」(いずれもウバルド・デ・リオとの五重奏団)

カルロス・ラサリ ★

カルロス・ラサリ ★

1925年ブエノスアイレス生まれ。バンドネオン奏者。1940年代初めにペドロ・マフィアの楽団でデビュー、その後ミゲル・カロー、フランシスコ・カナロなどの有名楽団を渡り歩いた後、「リズムの王様」フアン・ダリエンソ楽団に1950年に入団、1957年からは実質的なコンサートマスターとしてダリエンソの死(1976年)まで活動を共にする。1975年からダリエンソ・スタイルを4人で演奏するロス・ソリスタス・デ・ダリエンソで活動を始め、タンゲリーア(タンゴのライブハウス)を中心に長く活動を続けた。1980年代後半からはラサリ指揮のフアン・ダリエンソ楽団としても活動、日本にもたびたび来日した。2009年6月世を去っている。
CD収録曲/「ラ・クンパルシータ」、「ラ・プニャラーダ(刃物騒ぎ)」

ガブリエル・“チュラ”・クラウシ ★

ガブリエル・“チュラ”・クラウシ ★

1911年ブエノスアイレス生まれ。バンドネオン奏者。1925年にプロデビュー、フアン・マグリオ・パチョ、ロベルト・フィルポ、フリオ・デ・カロなど第1次黄金時代の名流楽団に参加、1939年には自己の楽団でも活動。1940年代は南米チリで10年近く活動した。1960年代からは自己のレコード・レーベルを立ち上げ、楽団やバンドネオン独奏で古典タンゴからクラシックの名曲まで幅広く演奏した。彼のバンドネオン独奏のスタイルはハーモニーが豊かでオルガンのようなスタイルを持ち、非常に個性的なものである。近年まで独奏のアルバムを制作しており、タンゴ第1次黄金期を知るほぼ唯一のバンドネオン奏者だったが、2010年2月に惜しくも98歳で世を去った。

「(昔は)誕生日や結婚式のために人の家に行って演奏することがよくあった。早朝こっそり玄関先に行ってギタリストと一緒に演奏したりしたね。1927年か8年頃には規制がうるさくなったけど、それでも時々はやっていたよ。」
CD収録曲/「マリポシータ」

オスバルド・“マリネーロ”・モンテス

オスバルド・“マリネーロ”・モンテス

1934年ロサリオ生まれ。バンドネオン奏者。13歳の時にタンゴ楽団でプロデビュー、ミゲル・カロー、エンリケ・フランチーニなどの楽団を経て、1962年からレオポルド・フェデリコ率いる歌手フリオ・ソーサの伴奏楽団に参加する。さらにアティリオ・スタンポーネ、オラシオ・サルガンの楽団でも第1バンドネオンを担当。1983年から市立タンゴ・オーケストラで長く演奏。近年は市立楽団での同僚でもあったギター奏者アニバル・アリアスとのドゥオで活動、アルバム制作、海外公演も行っている。
CD収録曲/オーケストラ編成のトラックのほとんどに参加

文責:西村 秀人
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