――2002年にフェランを初めて招聘し、講習会を開いたそうですが、来日でのエピソードはありますか?
「日本の印象は? と尋ねたら“別の惑星に宇宙船で舞い降りた気分”と。“観る物、聞く物、みんな異質な物で出来てるようだ”と。それから、僕の大好きな日本料理店『壬生』に案内したのですが、料理を見て、“最近の料理か?”と訊くから“400、500年前からあるよ!”と言うと、食べているうちに彼は涙を流すんです。“これまで自分たちがクリエイトしたものが、全部入ってる。これを昔から食べていたのか”って感激して。ひとつひとつ、何で出来ているのか、どうやって作るのか、熱心に訊いてました」
――フェラン・アドリアの影響力は絶大?
「『壬生』で生のゆずに感動してね。食材としての名前は知ってても、本物は初めて。あのギュっと絞って出る滴りと香りに「すごい!」と。で、翌年、僕がパリに行ったら、いろんなシェフが<ユジュ>と呼んで、ゆずを使ってる。フェランの影響ですね。しかも、その後もイタリアやスペイン、ヨーロッパだけではなく、アメリカやオーストラリアにも広がって。フェラン・アドリア氏はいかに世界中の料理人に影響力が強い人なのか、目の当たりにしました」
――革新的な料理の発想の基本は、何だと思われますか?
「3つあると言ってます。ひとつは、歴史に出てきた料理を一度見直そう。2つ目は、現在ある料理を、違う観点から見直そう。3番目は、過去にも今にもない、新しい料理を開発しよう。過去の物を再構築して、まったく新しい発想を広げていった人ですよね。ファッションの世界ではすでにそういう発想でやっている。でも料理の世界では、それまでやっていなかった。だから、僕は、その発想に対して、100年にひとり生まれた天才だといったんです。それから、もうひとつ。映画を観るとわかりますが、開発は主力のふたりのスタッフがやっています。フェランがそれに細かい指示を与えつつ、最終的には自分の舌で判断を下す。ひとつの材料で幾通りもの調理を試さなければいけないから、ひとりでは出来ないんです。ひとりでやっていたら、100年じゃ間に合わない(笑)。そこです。そうやってスタッフに委ねることで、彼は優秀な後進を育てている。素晴らしいですね」
――フェランとの最初の出会いは?
「2000年です。エル・ブリに行って食した中に<ハムエッグ>という名前の、いわゆる分解料理がありました。それを口にした瞬間“料理の世界で、印象主義が始まってる”、“この人には日本が必要なのね”と思いました。なぜ日本が必要かというと、みなさんご存知かと思いますが、20世紀初頭のころモネやゴッホ、ルノワールなどの印象派の発生には全く文脈の違う日本の浮世絵が影響を与えているからです。彼らの絵はそれまでの手法から言ったら、未完成だ、色彩も変だ、と当時はいろいろ批判もされていました。フェランも批判されましたが、料理の進化は印象主義と同じものです。伝統的な手法ではなく、自分が作りたい料理の世界を創り出した人。しかも、そのために必要な絵の具=食材=既存の物から選ぶのではなく、食材までも開発してしまった。あらゆる物を泡状にするエスプーマの開発も、それ自体が目的ではなく、自分が創り出したい料理を追求して到達した食材の形のひとつということなのです」
――「日本が必要」と思い、その後にどんなことをしましたか?
「運び屋をしましたね(笑)。日本料理の店をまるごとブリへつれて食事会をしたり、日本の食材を持っていったり、日本に来た時にいろいろ食べてもらったり。ゆず、冷凍みかん、くず、かんてん。最近では黒にんにく。人形焼に触発されて、メニューに<にんぎょうやき>が誕生したり。カステラはスペインから渡ってきたのに、日本のようにしっとりした口当たりの物はないんですね。だから、感激して。映画に登場するオブラートも、紹介しました。本来はドイツからのものですが日本風に変化していて。日本の薄いオブラートは、フェランを通じてヨーロッパのシェフに広がり、今では、成田空港の薬局には必ず置いてあります。海外のシェフが帰国の時に必ず買っていくのだそうです。嬉しいのは、ゆずのように、日本の地域の食材が、世界化した食材になっていくこと。その突破口を開いてくれたのがフェランです」
――天才シェフの素顔はどんな?
「スクリーンに映ってるまんま(笑)」。“なんだ、なんだ?”って、いつも言ってる好奇心旺盛な子供みたいな人です」
――あなた自身がフェランから得た物は?
「試す前から“そんなのダメ。出来ない”と思わずに、どうしたら出来るかの、チャレンジ精神。ですからこの映画は、食の世界のみならず、クリエイションをする人には、ジャンル問わず、ある刺激になると思います。彼らが、オリジナリティをどうやって探し、どうやって構築していくのか。オリジナリティを生み出そうとする人たちの苦しさ、闘い、いかにチェックをするかなどのディテールが細かく描かれていますから。自分のオリジナリティとは? という気持ちになりますよ」
Profile
日本のフードコーディネーターの第一人者。鋭い味覚と、料理への多大なる情熱は日本のみならず世界中のシェフの間でも定評がある。「料理の鉄人」、「ビストロSMAP」「タモリのジャングルクッキング」「とんねるずの食わず嫌い王」「愛のエプロン」「メントレG」など、食に関するテレビ番組に多数関わっている。
2005.1マドリード料理大会 日本パートコーディネート、2009.2 東京テイスト世界料理大会シェフコーディネーター、2009.11 スペイン サン・セバスチャン料理大会 ジャパンday コーディネート、2011.7 エル・ブリ ラストディナー貸し切りパーティ実施、など世界的にも活動している。