INTERVIEW インタビュー

ヴェルナー・ヘルツォーク監督インタビュー

Q: 世界中にある洞窟壁画の中で、何故ショーヴェ洞窟に魅せられたのですか?

ショーヴェ洞窟は人類学史上、最も重要な発見の一つと言える。落石によって入り口が閉ざされた洞窟は2万年以上タイムカプセル状となっていたため、その内部は当時のままの姿で保存されていて、とても魅惑的だった。そんな洞窟の奥で発見された壁画はどれも素晴らしかった。その壁画は、私が想像する原始的なものでなく、作品として完成度が高く、古代人の芸術に対する魂の開花に驚愕させられた。

Q: 一般の人は決して入ることが許可されない洞窟で何か制限はありましたか?

私たちが許可された撮影日数は、1日4時間の計6日間だった。その他にも、手持ちで運べる機材以外の持込は規制されていたし、照明道具は、手持ちのライトパネル3灯しか持ち込めず、暗い洞窟内部の撮影は困難を極めた。しかし、今回の撮影で最もチャレンジングだったのは3Dカメラを自由に操る事だった。例えば、壁画をア ップで撮影する際、3Dカメラでは2つのレンズを均一に被写体に向けてズームしなくてはならない。被写体をイメージ通りのサイズに捉えると、次は3Dの立体感を出すために片方のレンズを微妙にずらさないといけなかったんだ。その様に、我々は壁画を撮影する際、常に緻密な計算をしなくてはならなかった。ほとんど光が無い洞窟内で、時間に追われながら、細い歩道でこのような高精度なテクニックを駆使しながら撮影をすることはとても難しかった。また洞窟内部に致死量に達する二酸化炭素や肺に悪影響を及ぼすラドンガスが出ているエリアがあったことも我々の撮影を困難にさせた。

Q: この様な悪条件下の撮影となり、映画で伝えきれなかった事もあったのでは?

私は伝えるべきこと、また、伝えたかったことの全てをこの作品で表現することが出来た。この作品では、私たちクルーはとにかく迅速に、プロフェッショナルに映像を撮影しきることに集中した。したがって、私はよく洞窟内で“神秘的体験”や“宗教的観念”に陥らなかったかと質問をされるが、私はいつも“プロ意識の探求”こそが洞窟内での体験だったと答えているんだ。しかし、撮影中に私は壁画を前にして5分ほど立ち尽くしてしまった瞬間があった。スタッフは皆次の撮影場所に移動していた。限られた時間しか与えられていなかった私にとって、本来はすぐに次の撮影に移行しなくてはならなかったが、私は壁画を前に動けなくなったんだ。

Q: この作品は、実際自分が洞窟内部に潜入したかのような錯覚に陥る作品ですが、どのようにしてそれらを可能にしたのですか?

私たちは洞窟のありのままの姿を見せるためにはどんな映像にするべきか事前に十分に話し合った。そして、実際洞窟に入ってみて、息を止めると自分の心臓の鼓動が静寂な洞窟内から聞こえてきたんだ。ジャン・クロット(Jean Clottes)に私は、この静寂な空気感を映像に出さないと駄目だと話をしたのを覚えている。映画 全体に漂うこの空気感は決して過剰に演出したものでなく、実際に洞窟内部はこのように静寂な空気が漂っていた。編集ではイマジネーションの世界に浸れるように細部に気を張った。特に“音”にはこだわりを費やしたよ。音楽がとても重要だった。私にとっての映画は、視聴者を想像の世界に誘導しその世界に浸らす事だ。映像や音の世界で視聴者はイマジネーションの世界を旅する。そして、それは忘れられない体験となる。それこそが、私の“シネマ”なのだ。

Q: 何故この作品を3Dで撮ることにしたのですか?

3Dでの撮影は私にとって“使命”に近いものがあった。壁画はどれも自然が生み出した凹凸のある壁を利用して、立体的に絵が描かれていたのだ。それは奇跡的とも言える技術であり、明らかに立体を意識した芸術であった。古代に描かれた立体絵画を私が3Dで撮影することはある意味、“使命”であったと言える。

Q: 劇中で、ショーヴェ洞窟壁画は映画の起源と言っていますね?

劇中の中で私が馬の群れの壁画の前に落ちていた木炭についてナレーションを入れている箇所があります。火が燈された痕のある木炭が壁画の前に並んでいたんだ。古代人はその火で壁画を照らし揺らめく動物達を見ていたと思われる。それこそが、映画の起源だと思うんだ。

Q: 貴方にとってのドキュメンタリーとは?

この映画を観ていただけると解ると思いますが、私のノンフィクションは事実だけを羅列したものではありません。壁画のライオンたちが何をしようとしていたのか?観ている人が各々の想像の世界に旅立てるようこの映画にはあえて意味深な発言や描写を入れている。ただ見て終わらせるだけでなく、見た上で様々な事を感じ取らせ、さらに想像を膨らませるための芸術が私にとってのドキュメンタリーフィルム。ショーヴェ洞窟にいた先史時代の芸術家はまさに私を想像の世界へと導いてくれた。 この映画は無意識のうちに我々の脳裏の奥深いことろに入り込み、様々な想像を掻き立てるだろう。オーリニャック文化が生んだ芸術は現在の私たちが生きる文明においてとても重要なものだと裏づけ、その文化をより深いレイヤーで視聴者に考えさせるという点では、この映画は現代の私たちにとって必要不可欠な映画となったことは間違いない。私はオーリニャック文明を生きた彼らの芸術性や技術に眼を向けるべきだと思っている。マンモスの牙にカーブを付け、破壊することなく真っ二つに割って作るフルートはかなりの技術を要するものだと言える。また、ピレネー山脈の洞窟から発掘されている衣服の遺跡を見ると、彼らは衣服における高技術をもっていたと推測出来る。

Q: 映画の中で、正面から見ると半分女性の下半身部が描かれていて、そして、その裏にはバイソンの頭の絵が描かれていた鍾乳石の素晴らしい映像があります。今まで、この鍾乳石の絵は正面からの写真しか世の中に出回っていなかったが、今回、貴方は鍾乳石の裏側の撮影に成功しています。様々な制限がある撮影でこのショットを成功させるため苦労した点などあれば教えてください。

私たちは、洞窟内に敷かれている歩道を越えての撮影が禁じされていました。撮影の最終日、私はマイク用のブーム・スティックに小型カメラを取り付け、歩道の終着点の先にある鍾乳石の裏を、足を踏み入れ無いことを条件に撮影することを、私たちの行動を監査をしているガードマンに提案してみた。カードマンは何も言わず、我々の顔を見渡し、うなずいてくれた。私たちはすぐにブームスティックにカメラを装着し、鍾乳石の裏の撮影を試みることにした。ブームに取り付けたカメラを持つ人間を倒れこむぎりぎりの確度で支えたが、さほど鍾乳石の奥へブームを伸ばすことは出来なかった。しかしながら、我々は幸運にも今まで誰も見たことの無い絵画の撮影に成功したのだ。我々は大きな発見をこの撮影でしたが、その反面、未だ未開のこの洞窟に更なる好奇心を持つこととなってしまった。時に、疑問に対する答えは無いほうがいい場合もある。

Q: 何故そう思うのですか?

我々は常に答えを見出していては駄目なんだ。時に疑問や興味を持ち続ける方がいい場合がある。疑問に対して我々はイマジネーションを駆使して推測しようとする。つまり、我々が持つ全ての知識と知能を活用し、“ヴィジョン”を脳内で形成するが、。それは考古学という分野でも同じこと。完全な答えが見つからない分野では、どのように物事を想像し、そのヴィジョンが正しいものなのかを裏付ける推理をし、答えを導き出そうと研究をするその姿勢は、実際に発見をしてしまうより美しい場合があるのだ。

Q: 映画の中で貴方は現代の人と古代に生きる人々とではイメージの解釈の仕方が違うと言っています。我々は当時の人々と比べ、イマジネーションを失ってしまったものはあるのでしょうか?

失ったとは言えない。単に、我々が“変わったのだと思う”。基本的に人類は“変わって”いくものだが、現代の人類にしか持ちえない“ソウル”(内面世界)もあると思っている。ショーヴェ洞窟に生きた人々に花開いた芸術性のように、まだまだ私たちの中で開花する内面世界はあると思っている。

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