映画『きっと ここが帰る場所』公式サイト

CAST & STAFF キャスト&スタッフ

CAST

Cheyenne SEAN PENN シャイアン/ショーン・ペン

1960年アメリカ、カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。高校時代より短編映画を作り始める。81年TVムービー『誰がウェブスターを殺したか』が放映され注目を集める。同年、『タップス』で映画デビュー。その後若手スターとして頭角を現し、マドンナとの結婚、離婚などプライベートでも話題をふりまく一方、91年、製作、脚本を兼ねた監督第1作『インディアン・ランナー』を発表。95年に、『デッドマン・ウォーキング』に出演、初のアカデミー賞主演男優賞候補に挙がる。99年、『ギター弾きの恋』で2度目の、01年『I am Sam アイ・アム・サム』で3度目のアカデミー賞主演候補を経て、03年、『ミスティック・リバー』でアカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得、ゴールデン・グローブ賞、ナショナル・ボード・オブ・レビューなども合わせて受賞。同年、『21グラム』で2度目のヴェネチア国際映画祭男優賞も受賞。その後も、08年の『ミルク』で5度目のアカデミー賞ノミネート、2度目の最優秀主演男優賞を受賞、『トラブル・イン・ハリウッド』(08)、『フェア・ゲーム』(10)、『ツリー・オブ・ライフ』(11)など出演作も続いており、相変わらずの活躍ぶりを見せている。
また、映画監督としても監督2作目『クロッシング・ガード』はヴェネチア国際映画祭に正式出品、3本目の監督作『プレッジ』がカンヌ国際映画祭公式出品、07年、監督4作目の『イントゥ・ザ・ワイルド』で米監督組合賞候補に挙がるなど、俳優兼監督としての確固たる地位を築いた。
そのほかのおもな出演作は『俺たちは天使じゃない』(89)、『カリートの道』(93)、『Uターン』(97)、『シン・レッド・ライン』(98)、『夜になるまえに』(00)、『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』(04)、『オール・ザ・キングスメン』(06)など。多くの監督、俳優仲間からリスペクトを集める米映画界でも独自のカリスマ的存在として異彩を放っている。

Jane FRANCES MCDORMAND ジェーン/フランシス・マクドーマンド

1957年アメリカ、イリノイ州シカゴ生まれ。79年にベサニー・カレッジで演劇の学士を、82年にイェール大学で芸術修士を取得。卒業後は地方の舞台で活躍。「欲望という名の電車」のステラ役で評価され、ブロードウェイの舞台に立つ。84年にコーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』に出演、映画デビュー。兄ジョエルと結婚し、以降、コーエン兄弟作品には『赤ちゃん泥棒』(87)、アカデミー賞主演女優賞受賞の『ファーゴ』(95)、『バーバー』(01)、『バーン・アフター・リーディング』(08)に出演、『ミラーズ・クロッシング』(90)でカメオ出演している。アカデミー賞は、『ミシシッピー・バーニング』、『あの頃ペニー・レインと』(00)、『スタンドアップ』(05)で3度助演賞候補となっている。その他の代表作に『真実の行方』(96)、『ワンダーボーイズ』(00)、『恋愛適齢期』(03)、『イーオン・フラックス』(05)、『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(11)など

Mordecai Midler JUDD HIRSCHモーデカイ・ミドラー/ジャド・ハーシュ

1935年アメリカ、ニューヨーク州ブロンクス生まれ。ニューヨーク市立大学で工学と医学を専攻。しかし、演劇に興味を惹かれ、アメリカ演劇アカデミーで学び、コロラド・ストック・カンパニーで働く。66年に「裸足で公園を」でブロードウェイ・デビューを果たす。以後、舞台俳優として数々の舞台を踏み、86年の"I'm Not Rappaport"と92年の"Conversations With My Father"で2度トニー賞主演男優賞を獲得。70年代中盤からTVに出演し始め、74年にシリーズ"Rhoda"で初めてエミー賞助演男優賞候補となる。76年にシリーズ『刑事デルベッキオ』(76-77/TV放映)に主演、78年から人気シリーズ"Taxi"(78-83)でエミー賞主演男優賞に5回ノミネートされて3度受賞している。映画は78年にフランク・ピアソン監督作『キング・オブ・ジプシー』で本格デビュー。80年に『普通の人々』でアカデミー賞助演男優賞候補となった。以降、『りんご白書』(83)、『旅立ちの時』(88)、『インディペンデンス・デイ』(96)、『ビューティフル・マインド』(01)などに出演

Mary EVE HEWSONメアリ/イヴ・ヒューソン

1991年アイルランド、ダブリン生まれ。父はU2のボノ、母は活動家/企業家のアリ・ヒューソン。現在はニューヨークに住み、ニューヨーク大学で学んでいる。08年にエリカ・ダントン監督作"The 27 Club"に準主演して、16歳で映画デビューを果たす。ほかに、ルーク・トレッダウェイ共演の短編映画"For the First Time"(10)があり、アイルランドのロック・バンド、ザ・スクリプトの映画同名歌のミュージック・ビデオにも登場した。『きっと ここが帰る場所』は2本目の長編映画となる。

Rachel KERRY CONDONレイチェル/ケリー・コンドン

1983年アイルランド、ティペラリー生まれ。19歳で舞台「ウィー・トーマス」出演、ロイヤル・シェイクスピア・シアター史上最年少で「ハムレット」のオフィーリアを演じた。99年にアラン・パーカー監督作『アンジェラの灰』で映画デビュー。以降、『ラット・ゲーム』(00/V)、『ケリー・ザ・ギャング』(03/V)、『ダブリン上等!』(03)、『ダニー・ザ・ドッグ』(05)、『終着駅 トルストイ最後の旅』(09)などに出演。10年の『ランウェイ』(映画祭)では、アイルランド映画/テレビ賞助演女優賞候補に挙がった。演劇では09年にオフブロードウェイのアトランティック・シアターの舞台「夢の島イニシュマン」でシール・ローテル賞助演女優賞を獲得している。

Robert Plath HARRY DEAN STANTONロバート・プラス/ハリー・ディーン・スタントン

1926年アメリカ、ケンタッキー州ウェスト・アーヴァイン生まれ。第二次世界大戦で従軍し、帰国してケンタッキー大学で演劇を始め、「ピグマリオン」などに出演。カリフォルニア州に移り、パサディナ・プレイハウスで演劇を学ぶ。57年に『ララミー砦の反乱』で映画デビュー。以降、西部劇やアクション映画の端役から徐々に脇役へと出演シーンを増やしていく。70年代は、『断絶』(71)、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73)、『デリンジャー』(73)、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)、『さらば愛しき女よ』(75)、『ミズーリ・ブレイク』(76)、『ストレート・タイム』(78)、『エイリアン』(79)、『ローズ』(79)などで、ハリウッド映画に無くてはならない脇役/準主役の地位を確立する。84年には、『パリ、テキサス』で主役を演じ、『レポマン』と併せてその存在感はピークに達する。90年代以降は、『ワイルド・アット・ハート』(90)、『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(92)、『ストレイト・ストーリー』(99)、『インランド・エンパイア』(06)など一連のデイヴィッド・リンチ監督作品、ショーン・ペン共演の『シーズ・ソー・ラヴリー』(97)、『マイ・フレンド・メモリー』(98)、『グリーンマイル』(99)、『耳に残るは君の歌声』(00)、『プレッジ』(01)など、まるでイコンのような伝説の俳優として活躍し続け、85歳の今も衰えない出演本数を誇っている。 本作で演じた、ロバート・プラス氏は映画中にある通り、キャリーバッグを発案した元パイロットで実在の人物である。

STAFF

Director & Screen Writer PAOLO SORRENTINO 監督・脚本 /Director & Screen Writer

1970年イタリア、カンパーニャ州ナポリ生まれ。94年にステファノ・ルッソと共同監督で短編映画"Un paradiso"を制作。01年に"L'uomo in più"で商業監督としてデビュー、イタリア映画ジャーナリスト協会シルヴァーリボン賞で新人監督賞を受賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞でも新人監督賞と脚本賞候補に挙がった。04年に監督2作目の『愛の果てへの旅』(映画祭上映)でカンヌ国際映画祭コンペティション正式出品を果たし、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞では作品、監督、脚本賞を受賞、ヨーロピアン・フィルム・アワードでも監督賞ノミネートを受けヨーロッパで期待の若手監督として認められる。監督4作目の『イル・ディーヴォ』(06/映画祭上映)でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞。審査員長だったショーン・ペンに激賞されて、一緒に本作『きっとここが帰る場所』を創り上げた。

Himself & Music DAVID BYRNE音楽・出演 /デイヴィッド・バーン

1952年イギリス、スコットランドのダンバートン生まれ。2歳の時に家族でカナダに移住、後にアメリカ、メリーランド州に移り住む。77年、トーキングヘッズ1stアルバム「サイコ・キラー'77」を発表。78年にブライアン・イーノのプロデュースによる2ndアルバム「モア・ソングス」をリリース、「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」などがヒットした。83年にセルフ・プロデュースアルバム「スピーキング・イン・タンズ」をリリース、トップ10ヒットとなった「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」を生む。このアルバムのツアーが、ジョナサン・デミ監督によって映画化され『ストップ・メイキング・センス』(84)となり大きな話題となる。6枚目のアルバム「リトル・クリーチャーズ」を85年にリリース、映画制作に取り組み、7枚目のアルバム「トゥルー・ストーリーズ」の後に、監督/脚本/主演/音楽と4役を担当した『トゥルー・ストーリーズ』を完成、公開する。同作で、インディペンデント・スピリット賞第一回作品賞候補に挙がる。最後のアルバム「ネイキッド」を88年に発表すると、バンドは解散状態となり、91年のヴィム・ヴェンダース監督作『夢の涯てまでも』のために「サックス・アンド・ヴァイオリンズ」をレコーディングした直後に解散を発表した。89年に2枚目のソロアルバム「レイ・モモ」、92年に3枚目「UH-OH」を発表、シングル「She's Mad」がヒットし、同曲のPVはMTVアワードで2部門の候補となった。以降、複数のアルバムを発表している。
映画音楽としては、坂本龍一、コン・スーと共に『ラスト・エンペラー』(87)を担当しアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、グラミー賞を受賞している。他に、『愛されちゃってマフィア』(88)、『猟人日記』(03)などを手掛けている。出演作に、『チェッキング・アウト』(89)、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(98)などがある。

Music WILL OLDHAM 音楽 /ウィル・オールダム

1970年アメリカ、ケンタッキー州ルイヴィル生まれ。ミュージシャン、俳優。俳優としては、86年 "What Comes Around"で15歳でデビュー。翌87年には『メイトワン1920』で準主演。以降、 "Junebug"(05)、ロッテルダム映画祭タイガーアワード受賞作"Old Joy"(06)、『ウェンディ&ルーシー』(08/TV放映)などに出演、TV作品に『ジェシカ~幼児転落・奇跡の脱出』(89/TV放映)などがある。ミュージシャンとしては、パレス・ブラザーズ名義で "There Is No-One What Will Take Care of You"(93)と"Days in the Wake"(94)を、パレス・ミュージック名義で"Viva Last Blues"(95)と"Alice Therefore"(96)を、ウィル・オールダム名義で"Joya"(97)のアルバムをリリース。以降は、ボニー・プリンス・ビリー名義で"I See a Darkness"(99)、"Ease Down the Road"(01)、"Master and Everyone"(03)、"Sings Greatest Palace Music"(04)、"Superwolf"(05/マット・スウィーニーと)、"The Brave and the Bold"(06)、"The Letting Go"(06/Tortoiseと)、"Lie Down in the Light"(08)、"Beware"(09)、"The Wonder Show of the World"(10/The Cairo Gangと)、"Wolfroy Goes to Town"(11)をリリースしている。

Director of Photography LUCA BIGAZZI 撮影 /ルカ・ビガッツィ

1958年イタリア、ロンバルディ州ミラノ生まれ。77年から広告業界で、アシスタントディレクターとして働く。83年にシルヴィオ・ソルディーニ監督作"Paesaggio con figure"で撮影監督デビュー。ダヴィッド・デ・ドナテッロ賞では14本ノミネートされて、5回撮影監督賞を受賞している。他に、伊ゴールデン・グローブ賞を2度、伊シルヴァーリボン賞を3回受賞、アメリオ監督作"Così ridevano"(98)ではヴェネチア映画祭撮影賞を受賞、『イル・ディーヴォ』ではヨーロッパ映画賞候補に挙がった。ソレンティーノ作品は"L'amico di famiglia"(06)を含んで4本目のコラボレーションとなる。