北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の在日本公民団体。第二次世界大戦終結直後の1945年10月15日に結成された在日本朝鮮人総聯盟が前身。1950年に始まった朝鮮戦争を経て南北の対立が激化し、日本に住むコリアンが政治的背景により「朝鮮籍」と「韓国籍」に分かれる中、北の権利を擁護するために1955年に設立された。東京都に中央本部を置き、その他の各道府県に本部とその下部組織を持っている。民族学校を運営したり朝鮮人が経営する企業に融資したりする他、北朝鮮の窓口としてビザやパスポートの発行業務も行っている。
1959年12月から1984年まで、数度の中断を含みながら20数年間にわたって続いた北朝鮮への集団移住のことで新潟港より船で北朝鮮へと渡った。帰国運動、帰還運動とも呼ばれる。当時は北朝鮮を“地上の楽園”とした啓蒙やマスコミの報道に、日本社会における民族差別や貧困に苦しんでいた9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に渡った。その多くは“南”の出身者でその妻や子供など日本国籍を持つ者も多かった。当時、政治経済の状況が不安定だった韓国よりも、旧ソ連の影響で経済成長が見られた北朝鮮に希望を託した。日本と北朝鮮との間に国交樹立がいまだ実現されないため、帰国者たちの日本への再入国はほとんど許されていない。
新潟港と北朝鮮の元山港のあいだを不定期に就航する貨客船。1971年に初代が、1992年に現在の二代目が就航した。朝鮮総聯が窓口となり、在日朝鮮人の祖国訪問や、朝鮮学校生の修学旅行、朝鮮に住む親戚などへの物資輸送などに使われている。定員350名。拉致事件や核保有問題以降、日本国内で新潟への入港を阻止しようとする動きが激しくなり、2006年7月5日、北朝鮮によるミサイル発射実験が行われ半年間の日本入港禁止措置を出した。また同年10月9日の北朝鮮の地下核実験成功の発表を受け、10月14日付けで入港禁止対象を北朝鮮の全ての船舶に拡大。その後幾度に渡る期限延長により、万景峰号を含む北朝鮮の全船舶は現在も入港禁止となっている。
社会主義国家の北朝鮮では基本的には全員が公務員であるため国から給料が支給されるが、ほとんどの人が月給だけでは生活が出来ないような額しか貰えない。そのためそれぞれアルバイト的な内職を行っていることが多く、映画の中で日本から来たヤン家の人々をもてなすためのご馳走を、近所の主婦たちが手伝って作っているのもそのひとつである。また北朝鮮では水道の供給が1日に2時間しかなく、電気の使用量も厳しく制限されていて、ガスも大変高価なものである。
ピョンヤンの外国人向けのホテルの中にあるレストラン。外貨が使用できるため旅行者にとっては便利だが、北朝鮮の一般市民がホテル内に入ること自体が少ない上に価格帯がとても高いため、利用する事は滅多にない。