STORY
120年目の大いなる転換はどんな結末を迎えるのか。
館長、学芸員、修復家、美術史家、運搬係、清掃員。個性的なスタッフたちがつむぐ小さなドラマは、組織のなかで働く苦労や、芸術を扱う仕事が持つ困難さを切実に描き出す。美術館のブランド戦略をめぐって紛糾する会議。収支バランスを問うてばかりの経営陣。下っ端扱いを嘆くサービス係。完璧主義の修復家。芸術とビジネスとが同居する場で巻き起こるのは、どれも普遍的でありながらユニークな問題ばかり。
なかでも「伝統の継承」と「大胆な革新」という正反対の選択を迫られる姿は興味深い。ハプスブルク家の遺産を守る美術館は、中世からの伝統を継承しつつ、現代の観客に向けて新たな風を吹き込まなくてはいけないのだ。
悩みながらもそれぞれの仕事に誠実に対処するスタッフたちのストーリーは、ときにユーモアあふれる展開やあっと驚く感動的な瞬間をもたらしてくれる。
オーストリアの首都ウィーン中心部にあるウィーン美術史美術館は、1871年、ハプスブルク家皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の命により建設がスタートし、1891年に開館した。13世紀からオーストリアを実質支配したハプスブルク王朝は第一次世界大戦後に崩壊するが、美術館は歴代の君主たちによる収集品をはじめとする数々の美術品を所蔵。その数は絵画だけで7000点を超える。豪華な天井画や壁画をもつネオ・ルネッサンス様式の建物はウィーン自然史博物館と対をなし、「双子の美術館」と呼ばれ、市民や観光客から親しまれている。年間来場者数は135万人にのぼり、そのうち1割弱が日本人観光客と言われている。
- 中野京子(作家・ドイツ文学者)
グレート? 確かに。でもハプスブルク家という華麗で重たい名前の下でも、美術館スタッフのやることは基本同じ。自分の持ち場でプロフェッショナルであろうとする彼らの姿勢が胸を打つ。
- 馬渕明子(国立西洋美術館長)
美術品の保管や展示、修復には、莫大な予算と多大な労力がつぎ込まれる。私たちが美術館で作品を目にできるということは、そういった多くの献身の結果であるということを実感できるだろう。
- 池田理代子(漫画家・声楽家)
これは愛と責任をもって芸術を支え、精錬にして静かに取り組む人々の美しきおとぎの世界である。
- 奥田瑛二(映画監督・俳優)
私の大好きなウィーン グレート・ミュージアムで繰り広げられる表舞台にはでることのないドラマ。ふだん垣間見ることのできない裏側はそれぞれの担当者の思惑が絡まり合い一触即発!何はともあれ、芸術の秋、皆様もどっぷりと究極の美をごらんになって!
- 假屋崎省吾(華道家)
ウィーン美術史美術館 - そこには、美術館が「美術館」になる前の根源的な記憶が息づいている。数百年をかけて蓄積され、ゆっくりと発酵してきたコレクションの記憶。この美術館で働くひとたちには、そうした「記憶」の重みを、それと知りながら背負う気高さがある。この映画を観終えるとき、誰の眼にも明らかなのは、きっとそのことだと思う。
- 新藤淳(国立西洋美術館研究員)
欧州の大美術館の中でも一、二を争う格式を持つ「ウィーン美術史美術館」の改修工事と再生の記録。ハプスブルク家の本拠地ウィーンらしい重厚で豪奢な雰囲気の中、ブランディングや予算配分など、アクチュアルな話題が展開するのは刺激的だ。
- 高橋明也(三菱一号館美術館 館長)
チェッリーニの「黄金の塩入れ」、ブリューゲルの「バベルの塔」・・・。だがどんな名画名作よりも、カメラが丹念に追うのはハプスブルク家の遺産を支える人々の姿。そして帝国主義的スノビズムの幻影も。
- 藤原えりみ(美術ジャーナリスト)
世代交代や時代に合わせた変革は多くの組織が直面する普遍的な問題である。
この映画は、ひとりひとりが日々の職務に全力を尽くす真摯な姿を通して、組織の過去と未来をつなぐのは人であることを教えてくれる。
- 廣川暁生(Bunkamuraザ・ミュージアム 主任学芸員)
普段は決して見ることのない美術館の舞台裏。それは時にシビアで、時にドラマティックだ。
本作を観れば、美術館を見る目がきっと変わる。
- 橋爪勇介(『美術手帖』編集部)
苦労なんて微塵も感じさせない"美しさ"の裏にある、人々のプロフェッショナルな熱意を垣間みられる貴重な作品だと思います。
- 斉藤アリス(モデル・タレント・ライター)