コラム

「パリのカフェ文化」

 本作の原題「フロールの恋人」の“フロール”とは、サンジェルマン・デ・プレでカフェ・ドゥ・マゴと並び称されるカフェ「カフェ・ド・フロール」の事だ。劇中でも度々その店内が登場するが、舞台となった30年代~40年代はパリのカフェ文化が最も華やかだった時期で、多くの著名人が足繁く通っては激論を交わし、そこから新しい文化や芸術が次々と生まれた。サルトルとボーヴォワールも毎日のように集い、そして熱く語り合った。カフェ・ド・フロール初代オーナーの孫による著作の中に記された当時の様子を、一部を抜粋する。

 

 フロールの栄光はサルトルに負うところが非常に大きいということが、たとえ言い過ぎではないとしても、偉大な作家が何度も繰り返して告白しているように、暖かでそして情け深い思想の避難場をほかではなくここに見いだしたということには、店の虚栄心がくすぐられる。ボーヴォワールとサルトルのカップルが居場所を<見つけた>のは『第二の性』の著者の方だった。
 ブバルが買い取ってすぐのフロールに彼女が足を踏み入れたのは、視察をするために違いなかった。この若い女性の心を決めさせたのは、優れたアヴェイロン人としての先見の明で、我らがオーナーが占領下の思い出となる最も大きな石炭ストーブを設置したところだったことなのだ。それは悪臭を発し、一メートルもの炎をあげた。が、それが何だ!フロールは快適で、暖かだった。
 「フロール」にしておこう!ジャン=ポール・サルトルは次のように書いている。
「やがて、シモーヌ・ド・ボーヴォワールと私は、そこを住処にしてしまった。午前九時から正午まではそこで仕事をし、昼食をとりに出かけてから、また二時に戻ってきて、四時までそこで出会う友人たちとおしゃべりをした。そして、八時までまた仕事をするのだった。夕食後は、そこで待ち合わせをした人々を迎えるのだ。奇妙に思えるかもしれないが、私たちにはフロールが我が家だった。」

 

~「カフェ・ド・フロールの黄金時代/クリストフ・デュラン=ブバル」(中央公論社)より

サルトルの時代について —— 渡邊一民(フランス文学者)

 日本に限らず戦後の世界で、サルトルほど大きな影響力を行使し続けた文学者はいなかった。そして二十世紀の精神の歴史の上には、はっきりと“サルトルの時代”と名づけられる時代が、それも二十年以上にもわたって存在していたというのが、わたしの偽らざる実感である。1945年から二十余年間、それはサルトルの時代であって、その時代に生きた者はほとんど一人の例外もなくサルトルに問題を突きつけられ、その影響を受けずにはいられなかった。
 しかもサルトルは、戦後の幕を開け戦後の世界そのものを作りだしたばかりか、そうした戦後を支えた社会主義と「普遍性の神話」に自らいち早く疑念を表明し、戦後世界そのものの崩壊を促進したのであって、ある意味では戦後の崩壊ののちに生まれた、いわゆるポスト・モダンの世界を準備する先駆者であったとも見ることができる。