2月15日、ローマ。ポンペイの血族を滅ぼして、ジュリアス・シーザー一行が凱旋してきた。群衆で湧く広場にさしかかった時、シーザーに占い師と名乗る男から「3月15日に用心しなさい」と声がかかるが、シーザーは気にも留めず立ち去る。広場にあふれる群衆の熱狂は、元老院が捧げようとする王冠を三度に渡り固辞するシーザーの振る舞いに、さらに激しくなる。しかし、そんなシーザーを苦々しく思う者も少なくはなかった。そのうちの一人が、シーザー自身の不興をも買うキャシアスであった。シーザー暗殺計画を謀るキャシアスは、仲間であり、義兄であり、シーザーの寵臣であり、民衆にも人気のあるマーカス・ブルータスをさかんに扇動する。このまま野心溢れるシーザーを王位へ就かせても良いのか?と。

3月15日がやってきた。キャシアスと仲間たちは早朝からブルータス宅へと向かう。ブルータスはシーザーを倒す企みに参加することを決意する。シーザーの忠実な部下であるマーカス・アントーニアスも殺そうとするキャシアスらの提案は、ブルータスによって斥けられる。同じ朝、シーザーが殺される悪夢を見た妻キャルパーニアが、元老院へ向かおうとするシーザーの外出を止めようとする。そこに、謀の一味であるディーシャス・ブルータスがシーザーを迎えに来て、キャスカなどほかのメンバーも合流、寵臣マーカス・アントーニアスも現れ、皆で元老院へと向かうことになる。議事堂に到着し、トレボーニアスが言葉巧みにアントーニアスをシーザーから引き離すと、まずキャスカが、続いて謀の一味が、次々とシーザーを刺し、寵臣ブルータスがとどめの一太刀を振るう。
「お前もか、ブルータス」最後の言葉を残して、シーザーは逝った。

ブルータスとキャシアスは、ジュリアス・シーザーを屠った理由をローマ市民に向けて理路整然と演説する。一旦はこの演説に心を奪われた群衆だったが、アントーニアスの巧妙な演説によってすぐに心変わりし、ブルータスらを謀反と断ずる。折良く、シーザーの甥であるオクタヴィアス・シーザーがローマに到着。アントーニアスとオクタヴィアスは元老院を立て直し、ブルータスやキャシアスと対峙する。追われたブルータスは夢の中に登場した幽霊によって予言されたフィリパイへとやってくる。そして、遂にキャシアスが自害し、敗北を知ったブルータスも召使ストレートーが持つ剣に身を躍らせて最期を迎えるのだった…。

  • 新潮社 新潮文庫
    「ジュリアス・シーザー」
    福田恒存・訳

  • 光文社 光文社古典新訳文庫
    「ジュリアス・シーザー」
    安西徹雄・訳

  • 白水社 白水uブックス
    「シェイクスピア全集 ジュリアス・シーザー」
    小田島雄志・訳

  • 岩波書店 岩波文庫
    「ジュリアス・シーザー」
    中野好夫・訳

  • グーテンベルク21
    電子ブック版
    「ジュリアス・シーザー」
    大山敏子・訳

1564年4月26日イギリス、イングランド地方ストラトフォード・アポン・エイヴォン生まれ、1616年4月23日没。1592年頃から劇作家として活躍し始め、史劇「ヘンリー六世」三部作(50-92)、「リチャード三世」「間違いの喜劇」、「じゃじゃ馬ならし」、「タイタス・アンドロニカス」などを発表して地位を築く。
ペストによって劇場封鎖された頃は詩作に励み、「ヴィーナスとアドニス」、「ルークリース凌辱」、「ソネット集」などを発表。

1595年に悲劇「ロミオとジュリエット」を発表、喜劇の「夏の夜の夢」、「ヴェニスの商人」、「から騒ぎ」、「お気に召すまま」、「十二夜」など円熟味を増した作品を次々と発表し人気を博し、史劇「ヘンリー四世」二部作もこの頃に執筆している。

1599年の史劇「ジュリアス・シーザー」から、四大悲劇と言われる「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」など後期の作品では重厚な作風に変わっていった。1610年前後頃からは、ロマンス劇と言われる「ペリクリーズ」、「シンベリン」、「冬物語」、「テンペスト」などを発表している。

イギリスのルネサンス期を代表する劇作家であり、詩人としても著名。また、手紙や日記、自筆原稿などが残っておらず、シェイクスピア自身の資料も少ないことから、別人説や工房説なども囁かれている。