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撮影日誌

第一章 クランクインまで

2010年10月

『愛しきソナ』の配給を探していたヤン監督と 本作エグゼクティブPの河村が初対面。ヤン監督の家族の体験談を聞くと いきなり「その話をフィクションにする気はない?」と持ちかける河村P。あれよあれよという間に本作の企画が成立!実はこのときヤン監督は「どうせ 呑みの席の約束。実現はしないだろう」と 軽く受け流していたらしい。

2010年11月

“やると決めたらすぐ行動!”がモットーの河村Pの指揮のもと 1回目のミーティング。目指すは来年のベルリン国際映画祭出品。ある日呼び出されたヤン監督の前にはベルリン映画祭出品までの制作スケジュールが…。前のめり気味の制作チームの行動力に 監督しばし唖然。しかし逆に 監督から提出されたプロット『7days(仮)』の完成度の高さに驚愕する制作チーム。「…これは 凄い映画になる!」

2010年12月

当初のプロットは在日ファミリーのコメディタッチの会話劇だった。登場人物も決定稿よりずっと多い。しかしなんといってもこの作品は低予算映画 ロケ地や登場人物の人数など制限が多いのは致し方ないところ。シナリオ作成にも様々な工夫が強いられる。何度も何度も繰り返される書き直しのオファーに 監督も筆が止まってしまうこと たびたび。

2011年1月

第15稿くらいから脚本『7days(仮)』は だいぶシリアスな物語に。母から監視人ヤンへの手紙のエピソードが入ってきたのもこの頃から。自分の記憶をたどりながらシナリオを書くことは 監督にとって相当つらい作業のはず。シナリオの打ち合わせのたびに 監督は目を腫らしていた。

2011年2月

あっという間に企画発足から4か月たち だんだんと脚本の遅れに焦り始める越川P以下制作チーム。苦しみながら書き続けるヤン監督を尻目に 時間は刻々と過ぎていく。ベルリンを目指すためには夏のクランクインはゆずれない。キャスティングを始める時期が近づいている。何をどこまで描くべきか リスクはないのか 悩みまくる毎日。既にシナリオは17稿!どうなる!『7DAYS(仮)』!!!

2011年3月

シナリオ第20稿!やっとキャスティングが始まり いよいよ撮影に向けて動き出す…そんな矢先に起きた 東日本大震災。それはヤン監督とシナリオの仕上げをする約束をしていた日の出来事だった。テレビには信じられない光景が映し出されていた。―この後 いったいどうなるのだろう。映画なんて撮っている場合なのだろうか?もしかしたら夏に撮影をすることどころか スタッフを集めることすら無理かもしれない。他の日本映画の撮影も 続々撮影中止になっていた。
でも 私たちはこの映画を撮り終える事を決めた。

2011年4月~6月

本格的なキャスティングが始まった。こんな難しい役をそうやすやすと引き受けていただけるわけがない キャスティングは難航するに決まっている。なんといっても言葉の問題がある。特に兄ソンホは朝鮮語を上手く喋らなければはならないし 監視人ヤンは完璧な北朝鮮訛りを再現してもらわなければいけない。言葉は 監督が一番こだわっている部分だった。ところが そんな心配をよそに 第一候補の役者さん達が出演を続々と決めて下さった!残るは 最後の難役 監視人のヤン役のみ。第一候補は『息もできない』のヤン・イクチュンさん。もし 彼に断られたら他に候補がいない。さすがに難しいか…とあきらめかけた制作チームの元に悩みに悩み抜いたイクチュンさんから返事が来た。やった!映画が本格的に前に進み始めた。

2011年7月

ロケハン ロケハン・・の日々。なかなか物語のメインになる家族の暮らす家がみつからない。最後の最後にヤン監督がその外観に惚れた ツタが絡まる北千住の物件が見つかる。後で聴いた話によると この物件が建っている場所には その昔映画館があったらしい。不思議な縁を感じる。 キャストと監督の初顔合わせ。台本を読んで下ったキャストのみなさんから監督にこの映画の背景 監督の家族の話など 様々な質問が飛び交う。安藤さん 井浦さん 宮崎さん 津嘉山さん イクチュンさんを迎えての初の台本(ほん)読み。苦労して書いたシナリオが役者さんのお力で息を吹き込まれる瞬間。全身鳥肌が立つ。凄い役者さん達が揃った!(第二章へ続く)

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