巨匠たちによる一夜限りの世紀のコンサートが、今、幕を開ける!
〜人々の旅情をかきたてる魅惑の都市、ブエノスアイレス。

タンゴ版『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』の誕生

2006年、ブエノスアイレスの最も古いレコーディングスタジオで、1940年代から50年代に活躍し、 アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いたスター達が感動的な再会を果たした。
彼らはアルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」に収録する名曲を歌うためにこの場所にやって来たのだった。 60〜70年もの演奏歴をもち、いまなお現役で輝き続ける、まさに国宝級とも言えるマエストロたち。
時を重ね人生の深みを増した歌声が響くなか、彼らは激動の歴史とともにアルゼンチンに脈々と 生き続けてきた、タンゴの魅力と自らの思い出を語り始める。なけなしの金で父が買ってくれた バンドネオン、街角のカフェから成功の階段をともに上った仲間たち、亡き師への変わらぬ熱い思い。 彼らの人生のすべてがタンゴという3分間のドラマに刻まれていく。

ラテンアメリカから世界へ。アカデミー賞受賞の音楽家グスタボ・サンタオラージャがプロデュース

タンゴという芸術を生み出した マエストロ巨匠たちと一緒に仕事が出来たことは、私の人生において最高の出来事の一つとなった」と語るのはアルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」と本作を企画した、世界的な音楽家グスタボ・サンタオラージャ(『ブロークバック・マウンテン』『バベル』でアカデミー作曲賞を受賞)。
彼は、このアルバムのためにマリアーノ・モーレス作曲「軍靴の響き」などレコーディング以降一度も再演されることのなかった編曲を再現したり、1950年代にエミリオ・バルカルセがオスバルド・プグリエーセ楽団のために提供した自作の編曲「シ・ソス・ブルーホ」、1960年代にフリアン・プラサがアニバル・トロイロ楽団のために提供したオスバルド・ベリンジェリの作品「両親に捧ぐ」など、数々の歴史的名編曲の再現なども意欲的に行った。マエストロたちの長い年月で培われた経験と、今までになくエネルギッシュな演奏、彼らをリスペクトしてやまないサンタオラージャとのコラボレーション。そしてエグゼクティブ・プロデューサーには『セントラル・ステーション』『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス監督を迎え、音楽と映画の最高のスタッフが伝説をつくりだした。

アルゼンチンタンゴの至宝が集結! ──そして、奇跡のステージの幕が開く。

ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座に並ぶ世界三大劇場のひとつであるブエノスアイレスのコロン劇場。真夏の一夜、タンゴの歴史をつくりあげた偉大なるマエストロ巨匠たちが一堂に会したそのとき、奇跡のステージの幕が開く。すでに惜しまれつつこの世を去ったカルロス・ラサリ、オスカル・フェラーリなど、二度とは見ることのできないアーティストたちの共演は、近年屈指の希少性をもち、音楽史に永遠に伝えられることだろう・・・。
聴く者誰をも魅了する彼らの演奏を収録したアルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」は、文句なしの2006年ラテン・グラミー最優秀アルバム賞を受賞した。

タンゴの歴史

キューバのハバネラなどをベースに、首都ブエノスアイレスの場末でタンゴが産声をあげたのがおよそ1860〜70年頃。レコード産業、楽譜出版などによって場末の外に出たタンゴは1910年代から徐々に海外にも輸出され定着、1920年代には第1次黄金期を迎える。世界恐慌やアメリカ音楽流行の影響で一時低迷するが、1935年ファン・ダリエンソ楽団の登場により、古典タンゴとダンスが復活、1940年代には第2次黄金期を迎える。
1955年のペロン政権崩壊後、小編成による「聞かせるためのタンゴ」を指向した現代的な試みが登場する。
1980年代後半、タンゴ・ダンス・ショウが世界的に流行、1997年にはアストル・ピアソラの音楽が再評価され、タンゴは新たなグローバリゼーションの時期を迎えている。
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