監督 ミゲル・コアン

1957年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画・テレビ制作を学び、インディペンデント・ドキュメンタリー映画界で監督としてだけではなく、プロデューサー、カメラマン、撮影監督としてのキャリアをスタートさせる。初期にはテレビ・ドキュメンタリーのカメラマンやPBS USA.のために、THE 90’s CHANNELと共同制作したショートフィルム『Visa Lottery』の監督などを務める。1998年にブラジルでユネスコがスポンサーのカルチャー企画「TV CULTURA LICEU」の演出兼プロデュースを務め、4つの小作品を監督。ブラジル国内の映画祭などで数々の賞を受賞した。
1999年にはディスカバリー・チャンネルと BBCネットワークの番組「People & Arts」のためにショートフィルム『La Boca, el barrio de Perez Celis and Moisesville』を監督。その後アルゼンチンに戻りK FILMS PRODUCTIONSを設立。長編ドキュメンタリーの他に、SURCO/UNIVERSAL MUSIC、ドイツ・グラモフォン、BMG、 MTVなど様々なクライアントに向けてコマーシャル、ミュージックビデオ、EPKの制作、テレビ番組の制作なども行っている。最新作『Salinas Grandes』は数々の国際映画祭に招待され、現在は新たなドキュメンタリー映画の製作も進めている。

このようなプロジェクトのために、タンゴの偉大なる巨匠マエストロたちが結集したことはありませんでしたので、古典的なタンゴとバリエーションに富んだタンゴ、その両方を見せることを目指しました。この類いまれなる才能を持つ音楽家たちや芸術家たちをまとめあげられるのはプロデューサーのグスタボ・サンタオラージャの他にはいなく、彼によってスタートからラストテークまで、情熱的かつ実り多き旅へと我々は導かれていきました。レコーディングを行ったブエノスアイレスのイオンスタジオは、巨匠マエストロたちの多くがかつて自身のヒット曲を録音した場所でもあったため、彼らは時間を遡ることができ、大いにくつろいで演奏することができたと思います。
そのような強い帰属感、そして思い出が彼らの音楽的才能をさらに輝かせています。これほどまでに帰属感を抱けるドキュメンタリー映画を撮影することができたのは、大変名誉で光栄なことでした。私を監督としてこのプロジェクトに招き入れてくれたグスタボ・サンタオラージャに心から感謝しています。
またこれほどまでのタンゴの 巨匠マエストロを集めることによって、タンゴという音楽が我々の歴史の中で果たした役割についても総括できたと思います。コロン劇場におけるスタンディング・オベーションは、今日においてもタンゴ・カルチャーが健在であるということを証明するにあまりある歴史的な出来事でした。

プロデューサー グスタボ・サンタオラージャ

 1952年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。16歳の時に自身の初シングルを作曲、録音、プロデュースしプロの音楽家として活動開始。1967年にバンドARCO IRISを結成し、4枚のアルバムを発表したが1975年には新たなチャレンジを求めてバンドSOLUNAを結成。彼らの唯一のアルバム「SOLUNA」は名盤として名高く、アルゼンチンのフュージョンフォークロックの発展に多大な影響を与えた。1978年にはアルゼンチンの軍事国家下の政治的、社会的状況に嫌気がさし、アメリカに移って音楽活動を開始。パンクムーブメントの中アニバル・ケルペルとWET PICNICを結成、アルバムを1枚リリースした。1981年には初のソロアルバム「Santaolalla」を発表し、ソロ活動を始める。このアルバムは、今日に至るまでアルゼンチンロック史に最も影響を与えた1枚として音楽評論家やミュージシャンたちから絶大な支持を得続けている。

ニューメキシカンロックムーブメントが広まりつつあった1980年代中盤からは、MALDITA VECINDADのサウンドに魅せられ、「Maldita Vecindad Y Los Hijos Del Quinto Patio」「El Circo」の2枚のアルバムを制作。それ以降、他のアーティストのプロデュースを手広く行い、ラテンアメリカ音楽を世界に発信するという夢も1997年に自身のレーベルSURCOを立ち上げたことにより、達成。ユニバーサルとのジョイントベンチャーとして、このレーベルで初めて手掛けたモトロフの 「Donde Jugaran Las Ninas? 」は世界中で200万枚の売り上げを記録し、大成功を収めた。
その後世界的人気を誇るフアネスのプロデュースなども手がけている。プロデューサーとして今日に至るまで11ものグラミー賞を獲得(そのうち二つは「CAFE DE LOS MAESTROS」で受賞)。平行して『アモーレス・ぺロス』、『21グラム』、『モーターサイクル・ダイアリーズ』など多くの映画音楽も手掛け、『ブロークバック・マウンテン』と『バベル』で二度のアカデミー賞に輝くなど華々しい実績を残している。

現在はSURCOの仕事をこなすかたわら、RETINAという出版社も経営し、本作の本「CAFE DE LOS MAESTROS」も出版。タンゴやミロンガ、カンドンベなどの伝統音楽と、現代音楽であるロックやヒップホップ、電子音楽を融合させた音楽・映像プロデューサー集団BAJOFONDOも率いている世界的な音楽家である。

私の音楽キャリアにおいて、自分のルーツと本質を知ることが、自分が歩む道そして到達できるかもしれない頂点を垣間見る方法なのかもしれません──。アルゼンチンに生まれた私の人生においてタンゴがいかに重要か、年を重ねていくうちに強く意識するようになりました。父が毎朝ひげを剃りながらタンゴを歌っていた幼少時代の思い出からなのか、タンゴが日常的に流れていたからなのか(ラジオやテレビから、また家族での集まりにおいても、です)今となって、タンゴは私自身を形成する大きな一部分であることを実感しています。
しかし、私はタンゴについての専門家でもなく、むしろ他の音楽ジャンルにおける仕事の方が知られていましたので、当初巨匠マエストロたちは私のことを懐疑的な目で見ていたと思います。  私とグスタボ・モッシは、このプロジェクトをアルバム制作から始めました。タンゴの黄金時代である1940年代から1950年代のスターたちを記録に残すことによって、タンゴというジャンルの様々な解釈、また現在も進行形である様々なタンゴのスタイルを提示したいと思ったのです。
そして我々は間もなくして、この偉大なる巨匠マエストロたちの結集が音楽史においていかに重要かに気がつき、このアルバムの録音をコンサートへと展開しようと考えました。それが、さらには本、そして映画となり世界に展開していくことになったのです。この映画は、誰をも魅了する才能豊かで、愉快で、エネルギーに満ちた巨匠マエストロたちと我々の旅路を記録したものであり、彼らと出会えて、一緒に仕事を出来たことは、私の人生において最高の出来事の一つとなったことは間違いありません。そして世界中の人々にもインスピレーションを与えることを願ってやみません。

エグゼクティブ・プロデューサー ウォルター・サレス

1956年ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ生まれ。オリジナルストーリーを基に作った監督作品『セントラル・ステーション』が1998年のサンダンス映画祭でプレミア上映された後、ベルリン国際映画祭で金熊賞及び最優秀女優賞を受賞、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞では、最優秀外国語賞を受賞し、アカデミー賞では外国語映画賞及び主演女優賞にノミネートされた。その他、50近くの国際的な賞を受賞し、世界中から一躍注目を浴びる。続く『ビハインド・ザ・サン』(2001)は英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞で外国語映画賞にノミネートされた。
2004年の『モーターサイクル・ダイアリーズ』は英国アカデミー賞で七つの部門にノミネートされ、最優秀外国語映画賞及び最優秀楽曲賞を受賞。ゴールデングローブでは外国語映画賞にノミネート、アカデミー賞でも二つの部門にノミネートされ、インディペンデント・スピリット・アワードでは三つの部門にノミネートされるなど、高い評価を受け多数の批評家賞を受賞した。20人の映画監督によるオムニバス映画『パリ、ジュテーム』ではダニエラ・トーマスと『16区から遠く離れて』を共同監督。
2006年のカンヌ国際映画祭、ある視点部門に招待されプレミア上映された。また、自身の監督業、脚本業に加えて多くの若い映画監督たちのプロデュースも精力的に行っており、アカデミー賞にノミネートされたフェルナンド・メイレレス監督、カチア・ルンヂ共同監督の作品『シティ・オブ・ゴッド』の製作総指揮も務めた。

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