ビデオカメラを持った白髪の男が、レンズを通して男女の絡みをじっと見つめている。精悍な顔つきのこの男、AVの世界ではその名を知らぬ者はいないカリスマ、“ヨヨチュウ”こと代々木忠だ。
代々木はこの世界に入るまで、まさに劇画のような激動の人生を送ってきた。1941年3歳で母親を亡くし、父親が仕事で家を空けるために親戚の家を転々とさせられる。終戦後には家が売春宿になり、自分の部屋にまで客が入り込むような日々であった。親の愛を知らずに育ち、中高生で札付きの不良になり、警察に目を付けられて大阪に逃亡。生活を改め花屋に住み込みで働き、華道も習い始める。すると才能を発揮して師範の資格を取り、若手華道家として受賞もする。そして23歳で結婚しまっとうな生活を始めることになる。
しかし妹の病気で小倉に戻った時に喧嘩で捕まり、前科が付いた事で離婚を決意する。そしてそのまま極道の世界に足を踏み入れ、26歳で組の三代目を襲名するが、組の抗争を収めるために小指を落とし堅気になる。しかし敵対勢力に命を狙われ拉致監禁されてしまう。何とか助かり、愛人のダンサー3人と一緒に上京する。
東京に出てワールド映画の助監督となり、女優の真湖道代と出合う。3人の愛人の許可を得て29歳で2度目の結婚。33歳でプリマ企画に入社し34歳で監督デビューを果たすが、プロデューサーとして携わった『女高生芸者』がわいせつ図画として摘発される。裁判費用を捻出するため自身の制作会社ワタナベプロを設立し作品を量産。その後タレント事務所アクトレスを設立し、愛染恭子をデビューさせる。同じ年、長女が生まれるが妊娠中の妻が体を酷使して働いたため4日後に死亡。40歳の時に東京地裁で無罪となり、その後すぐに次女が生まれる。
81年43歳で制作会社アテナ映像を設立し、『白日夢』で本番女優として人気となった愛染を主役にしたビデオ作品「本番生撮り 淫欲のうずき」が、一般家庭にビデオが普及し始めた事とも相まって爆発的なヒットとなる。そして44歳で発表した「ドキュメント ザ・オナニー」が、全く新しいスタイルのポルノという評価を受けて、一大センセーションを巻き起こす。そしてここから代々木の快進撃が始まった。