1916年ブエノスアイレス生まれ。楽団リーダー・ピアノ奏者。1930年映画館のピアニストとしてデビュー、編曲家としても活動しつつ1944年に自己の楽団を旗あげするが、先進的過ぎるサウンドが災いして2年で挫折。1950年に再デビューを果たし、巧みなシンコペーションとリズムの多様性で、アストル・ピアソラをはじめ多くの後進に影響を与える。1959年には名手4人とともに「キンテート・レアル」を結成、日本にも3度の来日を果たした。
近年はウバルド・デ・リオとのドゥオや新メンバーとのヌエボ・キンテート・レアルで活動していたが、2003年に引退を表明、息子のセサル・サルガンにその座を譲った。
CD収録曲/「口笛で呼ぼう」、「とろ火で」
1922年ブエノスアイレス生まれ。現代タンゴ界きってのヒットメーカーでもあるピアノ奏者・楽団リーダー。1938年、16歳で作曲した「青い小部屋」(クアルティート・アスール)がヒット、その後姉妹とトリオを組んで活動していたが、1939年タンゴ王フランシスコ・カナロの楽団に参加、9年間を過ごす。その間に「さらば草原よ」「ウノ」などタンゴ史に残る名曲を発表。1950年代には自己の大編成楽団で活動、早くから海外でも活動してきた。1950年代後半にはレオポルド・フェデリコ、ウバルド・デ・リオらとモダン・リズム六重奏団でも活動、以後日本公演も含め、近年までコンスタントに活動を続けている。
他の有名な作品に「軍靴の響き」「タンゲーラ」「エル・フィルレーテ」「灰色の午後」「ブエノスアイレスの喫茶店」などがある。
CD収録曲/「タンゲーラ(タンゴ好きなお嬢さん)」、「軍靴の響き」
1914年ブエノスアイレス生まれ。指揮者・ピアノ奏者。1932年巨匠ロベルト・フィルポの楽団に参加、1938年からはジャズとラテンを主なレパートリーとした「ハワイアン・セレネーダース」に参加、並行してメルセデス・シモーネの伴奏やフォルクローレ・ドゥオのマルティネス=レデスマの伴奏なども行った。1960年からは音楽教育に従事し、ピアノ・ソロで活動する一方、オデオン社の顧問として1983年まで数多くのアルバムの制作に関わり、自身の指揮する楽団で一流歌手の伴奏を長年手がけてきた。1974年以降たびたび楽団を率いて日本を訪れている。1980年にブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラの常任指揮者に任命され、2006年8月に92歳で現役のまま世を去った。
「当時は楽団同士でライバル意識があった。例えばトロイロのもとで活動するのであれば、トロイロにすべてを捧げないといけなかった。だからプグリエーセやディ・サルリとは喧嘩しているようなものだ。最近ではそういう競争がない。以前は指揮者の間に自然な形で誠意と敬意ある競争があったものだ。競い合ってはいても、トロイロはディ・サルリのファンでもあったのだ。」
CD収録曲/「マエストロに郷愁こめて」(カルロス・ディ・サルリに捧ぐ)
1926年ブエノスアイレス州生まれ。ピアノ奏者・楽団リーダー。ペドロ・マフィアらの楽団を経て、1946年、アストル・ピアソラが組織した最初の楽団に参加。レオポルド・フェデリコと共同で楽団を率いた後、1950年代半ばから自楽団を率いて活躍、コンスタントにアルバムを発表してきた。1970年代からは一転して室内楽風のスタイルを展開。1975年にはオスカー・アライス振付によるタンゴ・バレー作品で共演、ルイス・プエンソ監督の映画『オフィシャル・ストーリー』の音楽も担当した。2000年から現在まで国立フアン・デ・ディオス・フィリベルト・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめている。
「昔のタンゴは最初の拍子で誰の演奏かを聞き分けることが出来た。最近はリズムを聞き分けることの出来る人がいないね。最近の音楽はどうやって作られるのだろう?」
CD収録曲/「わが友チョロ」、「クリオージョの誇り」
1931年ブエノスアイレス生まれ。編曲家・ピアノ奏者・楽団リーダー。1949年プロデビュー、エドゥアルド・デル・ピアノ楽団、フロリンド・サッソーネ楽団に参加、歌手の伴奏楽団などを率いる一方、レコード会社のディレクターとして歌手伴奏や名前を伏せた楽団などで300種以上のアルバムを制作。本作で譜面が残っていない演奏などをレコードから書き起こす役割も担い、実質的にオーケストラ全体を取り仕切っている。作品にレオポルド・フェデリコとの共作で「夜のプレリュード」「気まぐれな秋」など。1966年にフロンド・サッソーネ楽団のメンバーとして来日して以来、たびたび日本を訪れており、昨年度はフェルナンド・スアレス・パスと共に全国公演を行っている。
CD収録曲/すべての曲の監修
1928年ブエノスアイレス州生まれ。ピアノ奏者。1944年プロデビュー、ドミンゴ・フェデリコ、ホアキン・ド・レジェス、ロベルト・カローらの楽団で活躍した後、1957年アニバル・トロイロ楽団のピアニストとなり12年間在籍し名をあげた。1966年トロイロ楽団の同僚であるエルネスト・バッファと共同でトリオと楽団を結成、1970年代前半にはレオポルド・フェデリコとトリオを組んだ。1980年代後半にはブロードウェイ・ショウ「タンゴ・アルゼンチーノ」に参加、世界中を公演してまわった。ジャズの影響をうかがわせるダイナミックなタッチと独創的なスタイルで知られ、同じ曲でも毎回異なったフレーズを弾く自由なスタイルで有名。
「トロイロはほとんどリハーサルには来なかったよ。来る時は気に入らない部分をカットする時だけだった。初めの頃は私がトロイロ楽団の響きを変えたと批判され、ジャズ・ピアニストとかタンゴ殺しとか言われたよ。でも私は40近くの楽団と演奏してきたんだ。長い年月がかかったし、果たして成功したかわからないが、その結果独自のスタイルを生み出すことが出来たのだと思う。今の多くのピアニストたちを聴いていると、私から盗んでいるのがわかる。私はさらに新しいものを生み出さなくてはいけないのだ。」
CD収録曲/「両親に捧ぐ」(オルケスタ)、「愛する故郷」(四重奏団)
1929年ブエノスアイレス生まれ。ピアノ奏者。14歳の時、地元の楽団でデビューするが、より安定した職を求めて1950年にピアニストを断念、旋盤工として長く働く。さまざまな機械を作り出し、最高傑作はペットボトルをアメリカ製の製造機よりも早く作る機械だったそうだ。しかし1980年、息子にピアノを習わせるためマノーロ・フアレスを訪れた際に促されて、ピアニストとしての活動を再開、1980年代後半にはスペインでテテ・モントリューと共演、その時スペインで録音したアルバムが1992年に発表され大きな反響を呼ぶ。ビル・エバンスを始めジャズのエッセンスをタンゴの叙情的な演奏にいかしたスタイルは大変ユニークなものである。近年も演奏活動やアルバム制作を続けてきたが、2009年6月、79歳で世を去った。
CD収録曲/「ロカ・ボエミア」