1941年ブエノスアイレス生まれ。現代屈指のバイオリン奏者。10代でブエノスアイレス市立交響楽団に入り、並行してミゲル・カロー、フルビオ・サラマンカ、アニバル・トロイロ、バッファ=ベリンジェリなどの楽団に参加。1978年からアストル・ピアソラ五重奏団のメンバーとなり、ソリストとしての名声を確立した。ピアソラの死後もソリストとして自己のグループはもちろん、さまざまなグループに参加、ピアソラ作品を演奏するため、ゲイリー・バートン、アサド兄弟、小松亮太などとも共演している。昨年はオスバルド・レケーナと共に日本全国で公演を行った。
CD収録曲/オーケストラ編成の演奏の大半に第1バイオリニストとして参加
1918年(1920年説もあり)ブエノスアイレス生まれ。編曲家・バイオリン&バンドネオン奏者。1940年代から編曲家として活躍、アルベルト・カスティージョ、アルベルト・マリーノなど歌手の伴奏楽団を率いていたが、1949年にオスバルド・プグリエーセ楽団にバイオリン奏者・編曲家として参加し、「ラ・ボルドーナ」「シ・ソス・ブルーホ」「天体」などの作品を発表、プグリエーセ楽団のみならず、数多くの楽団のレパートリーとなった。1968年、フリアン・プラサ、オスバルド・ルジェーロなどプグリエーセ楽団の同僚と共にセステート・タンゴを結成し、20年以上にわたって活動した。セステート・タンゴ脱退後、バンドネオンに持ち替え自己のグループで活動。2000年、若手ミュージシャンがオルケスタ・ティピカのスタイルを学ぶ「タンゴ学校オーケストラ」の指揮者に請われて就任。その経緯はドキュメンタリー『シ・ソス・ブルーホ』として映画化もされた。
「楽団メンバーになりたいとは当時は思っていなかった。私は編曲家で、アニバル・トロイロなど多くの指揮者に編曲を提供していた。しかしプグリエーセ楽団の話をもらった時、私は彼の楽団が大好きだったし、彼の楽団ならと話を受けることにした。一度プグリエーセ楽団に入ったら他の指揮者に編曲は提供できない。すべてのクリエイティヴな活力をプグリエーセに注がなくてはいけなかったのだ」
CD収録曲/「シ・ソス・ブルーホ」